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2008年9月29日 (月)

自分の音を、手放す。

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先日、テレビで、

マリア・ジョアン・ピレシュさんというピアニストが

若い人たちを、教えているところを見ました。

    

ピレシュさんのまわりには、

ピアノを弾いていないときでも、美しい、詩のような音がただよっていて

テレビの前の私までもが、その世界の住人になることができました。

                          

彼女の口から出てくることばは、どれも

美しいものばかりでしたが、

なかでも、あるピアニストに話しかけたひとことが、

とてもこころを打ちました。

              

その若い男性は、ショパンの「幻想即興曲」を弾いたのですが

とてもロマンチックに、最初のフレーズを弾き始めた彼に

ピレシュさんは言ったのです。             

「出した音を、自分のところに留めておいてはだめ。

音は、みんなのものなの。

弾いた音はそのまま、外へ手放さなくては。」

                      

音を、留め置かないこと。

                    

私は、ときどき

出した音が、うまく聴こえているかどうかが心配で、

音が出たあとまでも、確かめようとしたり、

うちにある感情を、もっとよく感じようとして

自分のなかで、ぐるぐるまわりしてしまったりすることがあるのだけれど、

それは本当は、音の本来の性質に反しているなと

歌いながら、感じていました。

                       

今の瞬間にあるものは、今の瞬間にしかない。

自分の感情や、イメージや、感覚は

一瞬、一瞬、移り変わっていきます。

自分が出した音は、一瞬あとには、もう聴いている方のところに届き

それを、それぞれの方々が、どう感じるかは

その方たちの自由であって

演奏者には、コントロールができません。

                  

だからこそ、自分の出した音は

その瞬間に、手放してしまうことが大切なのです。

(手放したと思っていなくても、実はもう離れている、ということを

思い出す、と言ったほうが、正確かもしれなせんね。)

一瞬前に感じていたものを、もう一度感じようとしたり

うまく音が出ているかどうか、

一瞬後に確かめようとしたりすると、

そのとき、自分は、その瞬間を味わうことができないから。

「みんなのもの」である音を、自分のところに引き戻してしまうから。

                         

「いま」にいること。

いのちの顕れる、その瞬間に触れていること。

聴いてくださる人や、ほかならぬ自分が、

自分の命がけのプレゼントを、受け取ってくれないかもしれない、という怖れを

受け入れて

ただ、音を手放すこと。

自分のいる、この世界への、捧げもののように。

              

ああ、そうだ、そうだった。

                             

とてもとても、大切なのだけれど

すぐに忘れてしまう、「ほんとう」を

ふたたび教えてもらいました。

ピレシュさん、どうもありがとう。

                        

      

       

                            

                       

                           

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2008年9月22日 (月)

虹。

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昨日、京都で。

       

嵐のような雨のあと、

薄日のさした空にあらわれた、虹。

久しぶりに実際に見た、その姿は

私の記憶をはるかに超えた、大きさでした。

     

何かへの歓迎のような、

何かへの約束のような、

大きな、大きな、七色の輪っか。

なぜか、考えることもやめてしまって

消えるまでずっと、ひかりの向こうを

透かし見た、午後でした。

     

今日は、ウオン・ウインツアンさん、美音志くんと一緒に

ビルボードライブ福岡で歌います。

3人の響きから、どんな虹が映し出されるかしらん?

みなさま、どうぞ、おいでください。

                                 

                                 

                                            

           

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2008年9月 8日 (月)

嵐のあと。

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昨夜もわが家の近所には

激しい雷と、大つぶの雨が降り注ぎました。

                   

一夜明けて、きれいに晴れたお空の下、見つけた

ひとあし早い、秋のおくりもの。

      

どんぐりを見ると、むしょうにかわいいと思うのは、

私だけかしらん?

              

       

       

  

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2008年9月 6日 (土)

摩天楼。

2008   

    

    

      

       

先日、新宿を通りかかったときに

あまりに印象的だったので

思わず、カメラに収めた景色です。

          

もくもく大きな入道雲より、さらに高く、

空を指さす摩天楼。

なんだか少し、神話のような、その光景を

にわかに信じがたくて、

急いでいたのに、しばらく足を止めて

見入ってしまいました。

      

千年前のひとが、この景色を見たら、

きっと、神さまの神殿だと思ったに違いありません。

          

もっと大きく、もっと高く、もっと速く。

人類は、自分たちの夢をかなえたくて、

ほんとうに、いっしょうけんめいだったんだな。

その、気の遠くなるような努力の結晶である

この建物を眺めていると、

その労苦を想って、感謝と畏敬の念を感じながら

いっぽうでなんだかとても、切なくなりました。

     

ひとって、ほんとうに、がんばりやさんだなあ。

           

何千年ものあいだ、希望や絶望や、平和や戦争や、

ありとあらゆるものを経験しながら

でも、、いっしょうけんめい、生きるために、

夢を追いかけてきた私たち。

                

          

高い高い、その建物のてっぺんを見つめつづけて

疲れてしまった眼の焦点を、ちょっとゆるめて

足元の草を、眺めました。

人類の生まれる前から、きっと同じように

風に吹かれていたにちがいない、葉っぱの

美しいみどり色を見ているうちに

こころがだんだん、落ち着いてきました。

                    

これから、どうやって生きて行こう?

この摩天楼と、がんばりやの自分と

小さな草たちと一緒に。

いまだかたちのない、この先の時間に

どんな光景を、私は見たいだろう?

                  

ほんの数分だったけれど、

なんだか永遠のような気がした

昼下がりでした。

大切な時間をくれた、新宿のお空に感謝です。

      

      

       

     

                 

           

                      

          

        

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