自分の音を、手放す。
先日、テレビで、
マリア・ジョアン・ピレシュさんというピアニストが
若い人たちを、教えているところを見ました。
ピレシュさんのまわりには、
ピアノを弾いていないときでも、美しい、詩のような音がただよっていて
テレビの前の私までもが、その世界の住人になることができました。
彼女の口から出てくることばは、どれも
美しいものばかりでしたが、
なかでも、あるピアニストに話しかけたひとことが、
とてもこころを打ちました。
その若い男性は、ショパンの「幻想即興曲」を弾いたのですが
とてもロマンチックに、最初のフレーズを弾き始めた彼に
ピレシュさんは言ったのです。
「出した音を、自分のところに留めておいてはだめ。
音は、みんなのものなの。
弾いた音はそのまま、外へ手放さなくては。」
音を、留め置かないこと。
私は、ときどき
出した音が、うまく聴こえているかどうかが心配で、
音が出たあとまでも、確かめようとしたり、
うちにある感情を、もっとよく感じようとして
自分のなかで、ぐるぐるまわりしてしまったりすることがあるのだけれど、
それは本当は、音の本来の性質に反しているなと
歌いながら、感じていました。
今の瞬間にあるものは、今の瞬間にしかない。
自分の感情や、イメージや、感覚は
一瞬、一瞬、移り変わっていきます。
自分が出した音は、一瞬あとには、もう聴いている方のところに届き
それを、それぞれの方々が、どう感じるかは
その方たちの自由であって
演奏者には、コントロールができません。
だからこそ、自分の出した音は
その瞬間に、手放してしまうことが大切なのです。
(手放したと思っていなくても、実はもう離れている、ということを
思い出す、と言ったほうが、正確かもしれなせんね。)
一瞬前に感じていたものを、もう一度感じようとしたり
うまく音が出ているかどうか、
一瞬後に確かめようとしたりすると、
そのとき、自分は、その瞬間を味わうことができないから。
「みんなのもの」である音を、自分のところに引き戻してしまうから。
「いま」にいること。
いのちの顕れる、その瞬間に触れていること。
聴いてくださる人や、ほかならぬ自分が、
自分の命がけのプレゼントを、受け取ってくれないかもしれない、という怖れを
受け入れて
ただ、音を手放すこと。
自分のいる、この世界への、捧げもののように。
ああ、そうだ、そうだった。
とてもとても、大切なのだけれど
すぐに忘れてしまう、「ほんとう」を
ふたたび教えてもらいました。
ピレシュさん、どうもありがとう。
9月 29, 2008 | Permalink | トラックバック (0)








